2007年 05月 12日
おだまきの花 |
隣の家に咲いたオダマキの花です。
もうひとつ
オダマキの花にまつわる話をひとつ
明治36年北海道で知里幸恵と言うアイヌの娘が生まれる
幸恵15歳の時アイヌ語の研究をしていた金田一京助と出会う
金田一京助は幸恵から多くのアイヌ語を学ぶ
金田一京助は幸恵の才能を高く評価していて東京へ出てきて本格的に勉強することを進めるが、
幸恵には将来を誓い合った恋人がいて、彼は東京に行くことに強く反対をしていた。
しかし金田一京助からは何度も上京の誘いがあり
彼女の書いた「アイヌ神謡集」を本にするという話が持ち上がって、
幸恵は東京行きを決心する。
恋人は反対したが、すぐに帰ってくるから少しだけ行かせてほしいと懇願して何とか許しをもらう
しかし幸恵は東京に発つ前に親友の同級生に会って
私は東京へ言ってすぐ帰ってくるつもりでいるけれど、私は体が弱いから長くは生きられないかもしれない、私にもしものことがあったときには恋人のことをよろしく頼むと伝え東京に発った。
大正11年5月幸恵19歳だった。
幸恵は金田一京助の家に下宿して、京助にアイヌ語を教えたり春彦のお守りをしたりして暮らしていた
ある日町の花や店先でオダマキの鉢植えを見つけて買って来て窓際に飾って毎日眺めていた。
オダマキの花は恋人と一緒に小学校の花壇に植えた思い出の花であった。
幸恵は生まれつき心臓が悪くて、京助のつてで大学の先生に診てもらうが
当時の医療技術ではどうすることもなく、結婚不可の文字だけが残った。
幸恵は恋人に手紙を書いて、
今までのことへの感謝と、結婚不可と言われてあなたとはもう結婚できないこと
いい人を見つけて結婚してほしいと伝える。
そしてその年の9月心臓の具合が悪化して19歳の人生を閉じた。
その後親友の同級生は幸恵の恋人と結婚をし
「アイヌ神謡集」は翌年出版された。
彼女の眺めたオダマキの花はどんな色だったのだろうかと思ってしまう。
知里幸恵の残した美しい言葉を「アイヌ神謡集」序よりすこし
其の昔 北の廣い 北海道は
私たちの 先祖の 自由の 天地で ありました。
天真爛漫な 稚児の様に
美しい 大自然に 抱擁されて
のんびりと 楽しく 生活していた 彼らは
真に自然の 寵児 何と云う 幸福な
人たちで あったでせう
今日は少し長くなってしまった。
もうひとつ
オダマキの花にまつわる話をひとつ
明治36年北海道で知里幸恵と言うアイヌの娘が生まれる
幸恵15歳の時アイヌ語の研究をしていた金田一京助と出会う
金田一京助は幸恵から多くのアイヌ語を学ぶ
金田一京助は幸恵の才能を高く評価していて東京へ出てきて本格的に勉強することを進めるが、
幸恵には将来を誓い合った恋人がいて、彼は東京に行くことに強く反対をしていた。
しかし金田一京助からは何度も上京の誘いがあり
彼女の書いた「アイヌ神謡集」を本にするという話が持ち上がって、
幸恵は東京行きを決心する。
恋人は反対したが、すぐに帰ってくるから少しだけ行かせてほしいと懇願して何とか許しをもらう
しかし幸恵は東京に発つ前に親友の同級生に会って
私は東京へ言ってすぐ帰ってくるつもりでいるけれど、私は体が弱いから長くは生きられないかもしれない、私にもしものことがあったときには恋人のことをよろしく頼むと伝え東京に発った。
大正11年5月幸恵19歳だった。
幸恵は金田一京助の家に下宿して、京助にアイヌ語を教えたり春彦のお守りをしたりして暮らしていた
ある日町の花や店先でオダマキの鉢植えを見つけて買って来て窓際に飾って毎日眺めていた。
オダマキの花は恋人と一緒に小学校の花壇に植えた思い出の花であった。
幸恵は生まれつき心臓が悪くて、京助のつてで大学の先生に診てもらうが
当時の医療技術ではどうすることもなく、結婚不可の文字だけが残った。
幸恵は恋人に手紙を書いて、
今までのことへの感謝と、結婚不可と言われてあなたとはもう結婚できないこと
いい人を見つけて結婚してほしいと伝える。
そしてその年の9月心臓の具合が悪化して19歳の人生を閉じた。
その後親友の同級生は幸恵の恋人と結婚をし
「アイヌ神謡集」は翌年出版された。
彼女の眺めたオダマキの花はどんな色だったのだろうかと思ってしまう。
知里幸恵の残した美しい言葉を「アイヌ神謡集」序よりすこし
其の昔 北の廣い 北海道は
私たちの 先祖の 自由の 天地で ありました。
天真爛漫な 稚児の様に
美しい 大自然に 抱擁されて
のんびりと 楽しく 生活していた 彼らは
真に自然の 寵児 何と云う 幸福な
人たちで あったでせう
今日は少し長くなってしまった。
by ichiichik
| 2007-05-12 22:34
| あれこれ
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